「心より心に伝ふる花」を目指して
「弓八幡」の舞台展開
ここでは「弓八幡」を6つの場面に分け紹介します。
写真 平成28年 朋之会 シテ武田崇史
撮影 前島吉裕
1、【序】臣下(ワキ)の登場
囃子方・地謡が着座すると真ノ次第という登場音楽によって、帝の臣下が登場し、本日行われる石清水八幡宮の初卯の神事に参加せよとの宣旨を受けたので、石清水八幡宮に向かう旨を語り、参詣の人々で賑わう石清水八幡宮に到着する。
2、 【破一段】老翁と男(シテ・ツレ)の登場
臣下が座に付くと真ノ一声という登場音楽によって老翁と男が登場し、君の御代を寿ぎながら神前へ詣でる。
3、【破二段】臣下との問答
臣下が老人の持っている袋を不審に思い、老人に尋ねる。翁は当社に長年仕え帝の安全を祈る者で、この錦の袋に入れた桑の弓を帝に捧げたいが、身分の卑しい自分では直接帝に献上できないので、臣下の参詣を待っていたと言う。老翁の奇特な志に心を打たれた臣下はその桑の弓を献上する事を老翁自身が考えた事か問うと、老翁は当社の御神託によるものだと答え、弓を臣下へ捧げ、桑の弓と蓬の矢で天下を治めた謂れを語り始める。
4、【破三段】三韓征伐を語る
臣下の求めに応じて老人は更に詳しく三韓征伐や八幡神が影向した時のことを語る。そして、自分は実は石清水八幡宮の末社の神である高良の神であると明かして消える。
5、山下の者(間狂言)の登場
石清水八幡宮の山下の者が現れ、八幡神が示現した話や、石清水八幡宮の歴史を語る。
6、【急】高良の神(後シテ)の登場
やがて、山中に妙なる音楽が聞こえ、芳香が漂う中、高良神(後シテ)が現れ、君の聖徳を崇め、天下統一の安穏を守る事を誓って舞(神舞)を舞う。
●ひとこと解説
弓八幡の舞台となる石清水八幡宮は京都の裏鬼門にありますが、これは宇佐八幡宮にて八幡神が「我都を守らん」と神託を下し、この地に建立されました。そのため、都守護の神として天皇の崇敬を受け、石清水八幡宮は伊勢神宮とならんで二所宗廟と呼ばれています。高良の神は武内宿祢の神霊で、八幡宮の第一の末社であるとされています。日本書紀によると武内宿祢は五代の天皇、中でも神功皇后と応神天皇によく仕え、人臣では最高齢の三六〇歳まで生きたとされる人物です。文武両道に優れ、三韓征伐では大変な活躍をし、その後日本で起きた反乱でも幼い応神天皇を抱いて獅子奮迅の活躍をしたとされる人物です。
現在では脇能と言えば高砂が一番有名でよく上演されていますが、これは江戸時代に松を称える(松平である徳川家を称える)縁起のいい曲として重んじられたためでした。それ以前の室町時代ではこの弓八幡こそ武を治める(戦争がなくなる)縁起のいい曲として重んじられていました。弓八幡は「申楽談儀」にて「当御代の初のために書きたる能」とあり、新しき御代を寿ぐために作られた能です。戦乱の中でも武士たちに弓八幡を見せた世阿弥の平和主義精神に改めて感銘を受けます。
また、『弓八幡』は『高砂』と共に真ノ脇能と呼ばれ、楷書体のような基本に忠実にかっちりとした謡、所作、舞が求められます。