「心より心に伝ふる花」を目指して
「浮舟」の舞台展開
ここでは「浮舟」を6つの場面に分け紹介します。
武田尚浩家では誰も浮舟を勤めていないので、写真なしで紹介します。
1、諸国一見の僧(ワキ)の登場
諸国一見の僧が登場し、長谷寺参りを終えてこれから都へ上る旨を語り、その途中で宇治へとやってきます。
2、柴船に乗った女性(前シテ)の登場
そこへ柴を積んだ船に乗った女性が現れ、この船の様に自分の寄る辺ない境遇を嘆き、過去の過ちを悔い、神仏に祈ります。
3、浮舟の事を語る
柴船を見つけた僧は女性に宇治で有名な人はだれかと尋ねます。すると女性は昔浮舟という女性が住んでいたと答え、源氏物語の浮舟の事を語り始めます。
浮舟は薫中将が宇治に隠れ住まわせていましたが、好色家の匂宮の耳に入ってしまいました。匂宮は人知れず浮舟を尋ねて舟に乗せ、有明の月が輝き水面が澄み渡る中で「峯の雪 汀の氷 踏み分けて 君にぞ迷う 道は惑わず」と和歌を詠み、深い中となりました。一方薫中将は長閑な性格で、しばらく宇治を訪問せずに「水まさる 遠の里人 いかならん 晴れぬ眺めに かき暮らす頃」と和歌を送りました。二人の間で苦悩する浮舟はいっそこの世からいなくなりたいと、行方知れずになってしまいました。
4、女性は正体を明かす
浮舟の事を詳しく語る女性に僧がその正体を尋ねると、自分は小野に住む者で未だに物の怪に取り憑かれて苦しんでいるので助けに来てほしいと願って消えます。(中入り)
5、里人(間狂言)の登場
里人が現れて浮舟の事を再び語ります。このことを聞いた僧は小野へと向かい、一晩浮舟の菩提を弔う事にします。
6、浮舟の幽霊(後シテ)の登場
そこへ浮舟の幽霊が在りし日の姿で現れ、生前と同じ苦しみを受けていることを語ります。薫と匂宮の間で舟の様に漂い、世間に情けない噂が流れる前にと死んでしまいたいと思い、人々が寝静まった後に入水しようと妻戸を開けると、見知らぬ男に誘われて前後不覚になってしまいました。
そこへ初瀬観音の慈悲によって救われ、横川の僧都の祈祷によって物の怪が退治された後も苦しみは消えず、薫や匂宮が夢に現れていました。しかし今、横川の僧都と同じお僧に弔ってもらうことで執心が晴れ、兜率天浄土へと往生することができる喜びを語り、夜明けとともに浮舟の幽霊は消えていきます。
●ひとこと解説
世阿弥は「申楽談儀」にて「浮船の能、「此浮船ぞよるべ知られぬ」と云所、肝要也。そこをば、一日二日にもし果つるように、ねぢつめて納むべし。」と述べており、この一句の和歌に浮舟のすべてが集約していると考えていました。「源氏物語」において浮舟は周りの人々から誰かの身代わりとして求められ、様々な人の思惑に揺り動かされた文字通り波に揺られる浮舟のような存在です。その為、とらえどころのない空虚な存在、空白の存在として語られます。その上浮舟は誰にも自分の思いを話すことができず、寄る辺無く一人悩んでいました。世阿弥は「三道」にて「貴人妙体見風の上に、或は、六条の御息所の葵の上に付祟り、夕顔の上の物の怪に取られ、浮船の憑物などとて、見風の便りある幽花の種、逢い難き也。」と述べています。当時の人にとって「源氏物語」は王朝文化の象徴的な存在であり、そこに登場する華やかな貴人が悩む姿に幽玄美があると考えました。その為、浮舟が物の怪に取り憑かれて狂う部分は「女体の能姿」の理想の一つと考えました。その為、後場にはカケリや彩色の小書きの場合にはイロエが入り、浮舟の存在の空虚さを演出し、その後の最も盛り上がる部分に先に世阿弥が述べた「此浮船ぞよるべ知られぬ」の謡が入ります。また、冒頭で述べたように世阿弥がこの浮舟に見合う人を無上の役者であると語っていますが、これも浮舟の空虚さからきていると考えられます。例えば『葵上』のシテの六条御息所であれば根本となる人物像(気高さや嫉妬深さ等)があり、その人物像の上に役者の思う芸を加えて役柄が完成します。しかし、浮舟の場合は根本となる人物像が空虚な存在であるので、勤める役者の芸がそのまま表れてしまいます。それ故に世阿弥はこの『浮舟』に見合う役者こそ無上の役者であると述べたのではないでしょうか。