「心より心に伝ふる花」を目指して
「誓願寺」の舞台展開
ここでは「誓願寺」を6つの場面に分け紹介します。
写真 平成29年 朋之会 シテ武田尚浩
撮影 前島吉裕
1、一遍上人(ワキ)の登場
次第によって一遍上人が登場し、熊野権現證誠殿に参篭し「六十万人決定往生」の札を配る様にとの霊夢を蒙り都、誓願寺に向かう旨を語る。
2、里女(シテ)が登場し、御札を頂く
里女が登場し、誓願寺のありがたい仏の教えに集まる人々の有様を謡い、阿弥陀如来の教えはどんな人でも南無阿弥陀仏と唱えれば救っていただけると喜び、上人から御札を賜る。
3、御札についての疑問
里女は上人に「六十万人決定往生」の札を賜るが、この六十万人に漏れてしまった人は往生できないのかと尋ねる。上人はこの文字は霊夢で賜った四句(「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍證 人中上上妙好華」)の頭文字であり、阿弥陀如来の教えは大変ありがたいので六十万人に限定する事はありえず、ただ決定往生南無阿弥陀仏と唱えればいいのだと答える。
4、里女、上人に額を書いてほしいと頼む
夜が更けてきたので、上人が夜念仏を始めると、里女は「誓願寺」と掛けられた額を除けて上人の御筆で「南無阿弥陀仏」と書いた額をかけてほしいと頼み、これは本尊の御告げですと言って和泉式部のお墓へと消える。
5、下京の辺りに住む者(間狂言)の登場
京都・下京の辺りに住む人が登場し、地元の人々が皆同じ夢を見たと一遍上人に語ります。それは、誓願寺という額を外し、代わりに上人が書いた「南無阿弥陀仏」という額にするようにという内容だったと言います。
6、和泉式部(後シテ)の霊が登場する
上人が「南無阿弥陀仏」の額を掛けて本尊へ仏事をなしていると、出端によって和泉式部の幽霊が登場し、歌舞の菩薩になったことを告げる。そして誓願寺の縁起を語る。
誓願寺は天智天皇の宣旨によってつくられたお寺で御本尊は春日明神が御造りになった。御本尊の阿弥陀如来は衆生を西方浄土へと救ってくださる仏であり、そのありがたさを悟れば自分の心の中に浄土があり、その心によってこの誓願寺を拝むのであると説く。そして、歌舞の菩薩の舞いを舞う。誓願寺の堂内に妙なる薫りがみち菩薩は上人の徳をたたえる。
●ひとこと解説
本曲は前場には里女が現れ、後場ではその正体を現すという展開から三番目物の定型のお話とみられがちであるが実はそうとも言い切れません。三番目物の定型が僧に何らかの理由によって成仏できない苦しみを語り、後場にて本性を現し僧の回向を受けて成仏するのに対し、本曲では前シテはワキの賦算している札の「六十万人」の文言に不信を抱いているのみで特段の苦しみを抱えていません。更にその不信が解けると本尊の御告げを言い渡す存在となり、後場では歌舞の菩薩という本性を現します。つまり、このシテは既に往生している存在であり、苦しみを抱く衆生ではなく、その衆生に奇跡を見せて苦しみを救う菩薩なのです。古来の伝書の中で誓願寺は菩薩の能として分類されており、戦国末期に書かれた「少進聞書」には菩薩の能について「殊勝なる心持ちなり。したの心をばはり、上をばゆるゆると舞いたるよし」とあり、特に誓願寺については「紫雲たなびく夕日影」の心持ちとあります。つまり誓願寺の主眼の一つは来迎と浄土の再現であり、舞台上を宗教的法悦に満ちた空間へと変質させ、耽美的な世界へとみる人々を誘うものであると思われます。
本曲のワキである一遍のひらいた時宗は室町時代に最盛期を迎え、一般庶民から上級貴族まで、足利義満の后までも時宗の熱心な信者であったと言われています。このような時代に作られた曲であるため、本曲には一遍の「すべて名号に帰結する」という教えが色濃く反映されています。「誓願寺」の額から「南無阿弥陀仏」の額へと【掛け替え】るという話の展開はそれまでの浄土教における「阿弥陀仏の誓願による往生」という抽象的な概念から一遍による新しい具体的で体験を伴う「称名念仏による往生」への【書き換え】を意味し、後場の菩薩の舞は新しい宗教観の誕生の喜びの舞とも考えられます。