「心より心に伝ふる花」を目指して
「高砂」の舞台展開
ここでは「高砂」を6つの場面に分け紹介します。
写真 平成27年 観世会定期能 シテ武田尚浩
撮影 前島吉裕
1、神主・友成(ワキ)と従者(ワキツレ)の登場
囃子方・地謡がいつものように着座すると、〈真の次第〉という脇能特有の登場の音楽になり、阿蘇神社の神主・友成(ワキ)が従者(ワキツレ)を伴い登場します。本舞台に立ち並び、肥後国から都へ上る途中、高砂の浦を立ち寄る由謡います。
2、尉(前シテ)と姥(ツレ)の登場
次に〈真之一声〉という特別な登場音楽が演奏され、老夫婦(前シテ・ツレ)が登場します。老夫婦は松に関する謡を謡い、高砂の松の木陰を掃き清めます。
3、夫婦と神主との問答
友成は老夫婦を見つけ、歌枕で有名な「高砂の松」はどこかと尋ね、さらに古今和歌集の仮名序で高砂・住吉(摂津国・大阪府)の松が「相生」と呼ばれ、夫婦の松と書かれているのは何故かと聞きます。夫婦は今、掃き清めている松こそ高砂の松であると紹介し、さらに山川を隔てても夫婦の心は通うものであると述べ、自分たちも尉は住吉の者、姥は高砂の者であると言います。
さらに高砂・住吉の松が夫婦であるという伝承は、万葉集の御代と古今和歌集の御代が和歌の繁栄によって聖代としてつながっているという例えであると述べ、今の御代を寿ぎます。
4、松の徳を語り、シテ、正体を明かす
老夫婦は友成の求めに応じて、四季を通じ色が変わらないという松が常盤木として優れていると、松のめでたさについて語ります。友成は詳細に語る老夫婦を不審に思い、名を尋ねると、自分たちは高砂・住吉の夫婦の松の精であると明かし、住吉にて待つと言い残し、老人は海へ消えてゆきます。
5、里人(間狂言)の登場
友成は高砂の里人を呼び出し、改めて高砂・住吉の松が謂れを尋ねます。里人は謂れを語り、丁度新造した船があるので、住吉に行くならばぜひ乗ってほしいと頼みます。友成は勧めに応じ、新造した船で住吉へ行きます。
6、住吉明神(後シテ)の登場
住吉につくと、住吉明神(後シテ)が現れ、今の御代のめでたさを寿ぎ、颯爽と舞いを舞います。天下泰平と国土安穏を約束し、消えてゆきます。
●ひとこと解説
能には約40曲ほど神様を主人公とする一群があり、それらを神物あるいは脇能と呼び、中でも「高砂」は「弓八幡」と並んで〈真之脇能〉と呼ばれます。世阿弥の著作の『三道』という能作書にも、新作の手本とするように「弓八幡」と「高砂」の古名である「相生」の名前が挙げられています。江戸時代には「高砂」は松の徳を称える内容から徳川家(松平家)礼賛の特別めでたい演目として上演回数が増えました。江戸城では元旦を迎えると、歴代の観世大夫が時の徳川将軍の前で平伏し謡ったとされています。その風習は市井の人々にも伝わり、現代では少なくなりましたが、結婚式で「たかさごや」と謡う風習が広がりました。